2009年11月01日

かじまやー カメおばぁの生涯 その2 栗山民也

演出家の栗山民也さんが、1週間の演劇教室のために沖縄、北谷に通うようになって、もう5年が過ぎた。当時、新国立劇場の芸術監督の立場の忙しい身体だった。その2年前、きゃんひとみの一人芝居『恩納ナビー・今を生きる』の再々演のために来沖していた時、沖縄の若い演劇人たちと話していて、「沖縄の若い演劇人に世界の演劇のシャワーを浴びせたい」と、栗山さんが口にしたのを、実現させた形だった。1回目は美浜のメディアセンターの協力で、プロアマ15人の受講生が栗山さんの真剣な演出に目を開かれた思いをした。そして、2回目からは北谷が引き受けてくれ、ニライセンターで汗を流すようになった。年を経て、栗山さんの忙しさは増すばかりだったが、自分のお盆休みを返上して、来沖し、前日まで大竹しのぶさんや、内野聖陽さんを演出していたのと同じエネルギーで、受講者1人1人と向き合う姿に、スタッフとして、感謝の念で一杯だった。受講者は栗山さんの発する言葉の1つ1つを宝物のように受け取っていた。そして、5年目の12月、いよいよ、その成果を一つの芝居で現すことになった。この8月にキャスティング、そして、井上ひさし作『組曲虐殺』の初日のあと、来沖しての本読み、パルコ劇場での『海を行く者』の初日を開けたら、また沖縄に。そして、本格的稽古開始、12月12日の初日を迎えることになる。演目は北谷に実在したカメおばあをモデルに書いた。(「沖縄の反戦ばあちゃん」平松幸三作)
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栗山民也演出 かじまやー カメおばあの生涯

やっと漕ぎ着けた、沖縄でのお芝居です。この台本が書けなくて、どんなに苦しんだか。ブログを書かなくなった最大の原因が、台本が書けなかったということ。2年くらい苦しんでいたかしら。20年以上沖縄と関わってきて、3本目の芝居。つくづく思ったのは、芝居を書くことの難しさ。演出の栗山さんや、北谷のニライセンターのスタッフの皆さん、出演者の皆さんに、ホントに迷惑をかけてしまった。台本を渡した今は、栗山マジックとキャスト、スタッフの皆さんに芝居創りをお願いし、私は少しでも多くの方々に観て頂けるように宣伝の側に回ろうと思う。スタッフ、キャストの横顔などをブログで順次紹介していきたい。
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2009年04月03日

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(4)

 この道はホワイトハウスの西側、ワシントン記念塔の建つモールに続く。
「トイレや食事はどうするんだろう」心配になって、近くのピザ屋に飛び込み、ピザを1ピースとミネラルウォーターを1本買い、ポケットにねじ入れる。
トイレは、というと、使用禁止の札が。この人混みでは、さもありなん、と、納得して、人波に戻る。
レンウィックギャラリーの前にプラカードを掲げた人たちが嬉しそうに笑っている。
パレードのある、ペンシルバニア通りの入り口には検閲を受けるための人の行列が。
パレードまで、まだ、5時間くらいあるのに!
パレードは見られても、就任演説は見られないではないか。
モールの入り口にズラッーと万里の長城のように見えたのはトイレだった。200万人のためには当然必要だろう。

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 小高いワシントン記念塔の丘はすでに豆粒のような人で埋め尽くされている。道路にはまだまだ人の波が押し寄せている。
国会議事堂とホワイトハウスが一望できる丘の上に行くことにする。私たちも豆粒のひとつとなる。
記念塔の周りには星条旗が翻っている。ハトが舞い、ヘリコプターが旋回し、もっと上空には飛行機が行き交う。
沖縄で、複雑な思いで見ていた星条旗が、今日は誇らしく思える。埋め尽くす人々はいつからここにいるのだろう。
みんな、エスキモーのように着ぶくれ、毛布をまとった黒人、寝袋を敷いて抱き合うように腰を下ろした家族。
今もマイナス3度くらい。ユニオン駅で見たときよりみんなの表情が硬いのは、冷凍されちゃってるからかも。
議事堂まで、2キロくらいあるだろうか、ぎっしり人で埋まっている。
大型テレビジョンの画面には議事堂に到着した人たちが映し出されている。
一斉にブーイングが始まったので、見ると、ブッシュ大統領だった。
歓声が上がったので、誰かと思ったら、ゴアだった。民衆は正直だ。
オバマの子供たち、そして、ミシェルが入ると、温かい歓声。そして、大きな歓声。
オバマだ。でもその顔に笑顔がない、硬く緊張した顔だ。
11時30分、「レディースアンドジェントルマン」低音の響きが、会場に響き渡り、就任式の始まりを知らせる。
宣誓に使用した聖書はリンカーン大統領が使ったもの。
ところが、宣誓分を先導した連邦最高裁判官が言葉の順番を間違え、ちょっと、困った顔になったオバマはミシェルと見合わせて、苦笑い。
そしてもう一度、言い直す。緊張が解かれたように見えた。

 12時少し過ぎ、オバマ大統領の就任演説が始まった。200万人の耳がオバマの一言一言を聞き逃すまい、と、待ちかまえていた。
まずはブッシュ前大統領へのお礼の言葉。そして、静かに語り始めた。
それは、今、アメリカがどんな危機に直面しているかを国民と認識しあい、これから努力して行かなければならない風な深刻なものだった。
観衆の失望感が感じられた。観衆が期待していたのは、「Yes we can!」など、自分たちを昂揚させてくれる言葉だったのだろう。
でも、実際は、それどころではないのだから、オバマの演説は真摯で正直だった。
「60年前、レストランに入ることを拒否された男の息子がここに立っている」など、何度か、「オバマ!オバマ!」と言うシュプレヒコールは上がったものの、選挙戦のときのような、熱狂的、雪崩れるようなオバマコールはなかった。

18分の演説が終わると、まだ、セレモニーは続いているというのに、人々は帰りを急いだ。
群衆に導かれるように、私たちも丘を下っていた。大型画面ではエリザベス・アレクサンダーが詩を朗読している。
ふっと、後ろを振り返った私は、驚いて声を上げた。群衆がまばらになった丘のあちこちに残されたゴミ。
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コーヒーや食べ物のパッケージ、新聞、ブランケットなど、など。
「えっ!どうして!持って帰らないの!あの、オバマの演説のあとに、どうしてこれなの!」私が怒って叫ぶ、と、H・Rが、「どうして?」と聞く。
「当たり前でしょ!自分が出したゴミを片づけるのは!」
「片づけるために動員された労働者の仕事を奪うわけ?」
「そんなこと!その費用はどこから出るの? ワシントン?国?」
「三重子の意見は経済を停滞させることになる」
「そんなっ!そのお金をもっと生産的なことに使ってよ」
私が関わっている、沖縄のBEGINが主催する『うたの日カーニバル』は4、5万の人が集まるが、会場に残されたゴミはほとんどない。
吹き上げる風でゴミが舞い上がる。オバマ大統領のこれからの苦難の道が察せられる気がした。
モールのゴミは300人の清掃労働者と100人のボランティアによって片づけられた、と、次の日の新聞にあった。
だが、私のような意見は皆無だった。

 R・Hの母親の担当医に会った。
「短時間しか記憶がもたなくなっている。毎日、ヘルパーつけるべき。心臓が悪いのに薬も飲もうとしない。最悪、倒れて1か月以上、そのままという悲惨な状態も覚悟すべきだ」
自分の父親の痴呆症で苦労した、と言う女医の話は説得力があった。
しかし、3日間、一緒にいて、それほど悪い状態だとは思えなかった。
それよりも何より、彼女自身が断固として、ヘルパーを家に入れることを拒否した。
「一人で十分やっていける」と言い切る彼女をどうやって説得すればよいのか。
R・Hも一人でいることが多い。それを最大の幸せと思っている。その母である。
「人は誰でも、死はやって来る。それが看取られる死か、そうでないかは誰にもわからない。あなたはどう?自分の世界を邪魔されたら、1日もいられないでしょう」と、R・Hに言ってしまった私。
だが、別れの日、ポーチの下で手を振ってくれたヴァージニアが遠く離れるに従って、か弱く風に揺れるのを見て、私の気持ちも揺れた。 
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オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(3)

 地下鉄構内にもお祭りに行くような高揚感があった。
「Yes we can can End War!」と書かれたピンクのコスチュームに身を包んだ女性二人から、「オバマは平和を約束する」と書いたピンクのリボンを貰った。
電車を乗り継いで、30分、ポトマック川を越えたクラレンドン駅で下車。
駅前には少しずつビルが建ち始めているが、広い道路の両側にゆとりをもった敷地に立つ家、家。リスが木立から顔を出す。
最近、高級住宅地として、見直されているという。
「最近なの?」と、聞き返したいほどの、立地条件の良い住宅地だ。
徒歩5分でR・Hの母が住む白い家に到着。
 出迎えてくれたヴァージニアとは12年ぶり。
80歳になるというのに美しさはそのままだし、室内もきちんと片づき、呆けているなんて信じられない。
ただ、キッチンで、コーヒーを入れようとして、入れられない姿を見たときに違和感を感じたくらい。
でも自分が80歳になったとき、こんなにきちんとしていられるかしら。

 17時に再び家を出て、タクシーでホワイトハウスに行く。
そのすぐ横にある、ブレアハウス。すべての大統領は就任式の前日、ここに宿泊する。
R・Hは12年前、ここから前夜祭のパーティに出席するクリントンを間近に見たと言う。私たちは難なく、柵の最前に立つことが出来た。
それでも空にはヘリコプターが旋回し、パトカーのサイレンも行き交う物々しい雰囲気。
道路ではアフリカの太鼓を叩き続け歌う人がいる。ブレアハウスまでの距離50m。
こじんまりとした4階建てで2階と3階に電気がついている。
「あそこにオバマがいるのだ」と思うと、不思議な気がする。
家の手前に黒い箱形のバンが1台、その向こう側に4台、尻を向けて後尾ライトをついた車が止まっている。
私たちの前に警官たちが立ってはいるが、緩い感じで、私語を交わしている。
「あのバンに乗るのかしら」と私。
「いや、あれはリムジンじゃないから、前の3台のどれかだろ」とR・H。
と、1階に灯りがつき、玄関ポーチの階段の下に女性が立った。「あっ、出てくる」と、リムジンらしき3台が動き出した。
そちらに目をやった、その一瞬の間に、階段に見えた人影が手前の箱形の車に消えた。
そう、それこそ、どんな襲撃にも耐えられる改造車だったのだ。警官を見ると、「残念だったね」と、ニヤリ。
でも、当然かもしれない。私たちはなんのチェックも受けなかった。50mの距離では、暗殺としようとすれば出来る距離だ。
前夜祭は公私もろもろのパーティがあちこちで行われていて、オバマはどこに現れるかわからない。そのパーティ券も高いものは10万円くらいするらしい。
ホワイトハウスの前では、パレード最終地点の会場が作られ、煌々と灯りがつき、点検作業をしている。オバマを認めない人がアメリカの3割いるというし、KKKのような白人優越主義団体が880もあるという。暗殺の不安は限りなくあるのだ。
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 20日朝、9時前に家を出る。
就任式は11時30分からだが、車規制があり、地下鉄しか使えない。
そして、手荷物禁止。すべて、ポケットに入れるしかない。
地下鉄の駅では乗り慣れない人々がチケット販売機の前で右往左往している。
日本だったら、係員が手伝ってくれるだろうに。そんな配慮はない。
どうにかチケットを手に入れて、プラットホームに降りると人が溢れている。
ほとんどの人が空身状態。アタッシュケースを持っている人を見ると、「まあ、こんな日に仕事なの?」と言いたくなる雰囲気。
なかなか来ない列車。ホームから覗くと、駅手前100mくらいのところに、列車が止まったまま。
やっと、到着して扉が開く。満員といえば満員だが、日本のラッシュにはほど遠い。
乗ろうとすると、「乗れないでしょ!次のにして!」と扉近くの白人女性に言われる。
「そうかなあ、乗れるよね」と私。
「日本とは違うんだから」とR・H。
誰一人、乗れず、乗ろうともせず、扉が閉まり、行ってしまう。
R・Hが言う。「アメリカでは痴漢はいないよ、その場で撃ち殺されてしまうから、犯人が」人間との距離感が違うのだ。
仕方なく、次の列車を待つ。扉が開くと、同じような状態だ。と、端にいた黒人男性が、半歩身を引き、目で、「どうぞ」、私たちは感謝して乗り込む。
目で、「ありがとう」。目で、「どういたしまして」。
黒人とこんなに近距離で、こんなに目と目を合わす機会は、18年前にモザンビークにシナリオ作りに行った時以来。
沖縄にこれだけ行っているというのに。頭の中では、平等、と唱えながらも、黒人は怖いという意識が潜在的に刷り込まれているのではないか。
勿論、英語恐怖症ということも一因だが。目を合わせることが、こんなに心地よいとは。
家族連れ、友人連れ、黒人と白人が半々、そして私のような黄色人種、褐色の人の車内。電車が急停車したり揺れることすら、みんなで楽しんでいる。
「おめでとう!」と誰もが声を掛け合える、そんな空気が漂っていた。
「どの駅で降りようか」と私。
「みんなが降りるところで降りよう」とR・H。
4駅目のファラガット・ウエストで、人波に押し出されるように下車。
地上に出ると、この人波はどこから続いているのだろう、と思えるほど、前も後ろも人だらけ。
その波の中に入り、歩き続ける。
この光景、テレビで見た、第二次世界大戦や、ベトナム戦争が終わったときの、NYの人々の喜びの行列に近い。
人々はオバマに期待している。もう、戦争はこりごり、と思っているにちがいない。
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オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(4)
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オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(2)

 ニューアーク・リバティ空港から、リムジンバスでNYへ。
高速道路にのって、ハドソン川を渡るリンカーントンネルに入る前の一瞬、窓からNYの街が、まるでお盆の上にのったキャンドルの山の様に見える。
30年前に見たときの鮮烈さは今も瞼に焼き付いている。この中にワールド・トレード・センターのふたつの建物もあったのだ。
娘から電話が入る。「センター試験、全然ダメだった!」と失意の声。
「現実を受け止めて1か月後の本番にそなえるしかないよ。頑張って」母は祈るしかない。
60歳になった母は今も悩み、12年ぶりに訪れたNYで、自分の力の無さに打ちひしがれながらも、前に向かって闘っているよ。
あなたはまだ18歳、どれだけの力があるか。自信をもって!

 ブライアント・パークでバスを降りる。マイナス5度の空気が肌を刺すが、気を引き締めてくれるようで心地良い。
すぐにタクシーに乗る気がせず、大きなトランクを引きずりながら、北に向かって歩いてみる。
ブロードウェイあたりはさすがに賑やかで、あちこちで芝居やミュージカルが始まっている。
タクシーの運転手はターバンを巻いていた。これがNY!
10%から20%のチップを考えなければならない。面倒だが、老化防止になるかしら。
私はブロードウェイあたりのもっと、安いホテルにしたかったのだが、R・Hが愛煙家のため、喫煙室の取りやすいこのホテルとなった。
2日前に飛行機が緊急着水したハドソン川を西にセントラルパークの南西に位置するチェーンホテルで、部屋は広く、古びて落ち着いているが、ロビーも食堂も何の趣もない。
時差14時間。一睡もしていないのでさすが疲れている。シャワーを浴びてベッドに横になると、そのままぐっすり寝入ってしまった。
起きると12時過ぎ。まだ3時間しか眠っていない。
娘からの着信がある。日本は18日の昼。テレビをつけるとCNNでオバマの特別番組をやっている。
テレビに目をやりながら、娘に電話する。
「お母さん、私、勉強に向いていない!やってもできない!どうしていいかわからない!」
「誰もあなたを助けてあげられない。今自分の目の前にある問題を自分で解いていくしか方法はないのよ!」
埒が明かず、電話を切る私。またかけてくる娘。遠くでパトカーのサイレンが鳴り響く。
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テレビ画面はオバマが今日、私たちも乗ることになっているアムトラックで、フィアデルフィアから、ワシントンDCに入ったその映像を流している。
「さあ、問題集の1つでもいいから、解いてみなさい。そこからしか始まらないよ」
私の娘への強気の言葉は、確かにオバマに背中を押されている。
「Hだって、漢字を一つ一つ覚えて、今があるのよ。できないと思ったこともあったよ」
「H小父さんもなの?そうか」
やっと落ち着いて電話を切る娘。

 もう、NYはすっかり朝。窓の外は雪が舞っている。降っているのでなく、下から吹き上がるように舞っている。  
19日、ペンシルバニア駅から、R・Hと午前11時発ワシントンDC行きのアムトラック、アセラ特急に乗る。
全席グリーン車(日本円で25000円くらい)ということもあって、乗客は仕立てのいいコートを着て、高そうなカバンを持つエリート風がほとんど。
座席に着くなり、パソコンを開いたり、本を読んだり、新聞を読む。見るからに就任式の取材でワシントンに向かうというジャーナリスト風の人もあちこちに。
オバマが愛用しているスマートホーンのブラックベリーを手にしている人も多い。
窓の外は雪が舞うニュージャージー。工場街や、貧しい黒人の住む住宅街。そして雪化粧した雑木林。
30年前、家族3人で1か月近く滞在していた、R・Hが助教授をしていたプリンストン大学はこの雑木林の向こうにある。
NYを出て、1時間を過ぎたころ、フィラデルフィア駅に到着。『フィラデルフィア』という映画を思い出した。
若き有能な白人が会社の取締役となる。ところが、エイズを発症したことで、解雇される。
異議を申し立てた彼は親しい友人の黒人弁護士に弁護を依頼する。
エイズでゲイ、当時、もっとも差別の対象となる問題を抱えた友人の依頼を、いったんは断った黒人弁護士。
それを弁護することで、やっと手にいれた今の地位、家庭を揺らがせたくなかった。
しかし、友人が差別に対して必死で闘おうとする姿を見て、弁護を決心する。
黒人という隠しようのない存在に対する確固たる差別。白人であっても、ゲイであることの差別。エイズに対する差別。
最終的に、勝訴となる、この映画の舞台をフィラデルフィアにした意味は大きかったのだ、と、今、気づく。
独立宣言が採択され、合衆国生誕の地とされるこの地から、17日、オバマはミシェル夫人とともに列車でワシントンD・Cに入った。
途中、ウィルミントン駅でバイデン副大統領夫妻も合流して、集まった人たちに手を振る姿をテレビで見た。
あのときの列車は、私たちが乗っているこれだったのかしら。いずれにしろその道をたどることに感慨を覚える。

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 13時50分、列車はユニオンステーション到着。
向かいのプラットホームには1960年、マルコムXが存命していた頃のシカゴからの特別列車が止まっていて、車両の中で、就任式前日祭のパーティが行われていた。
目が合ったガラス窓の向こうの白人女性が、この日を待ち続けていた、という風に、手にしたシャンパングラスを高々と掲げ、喜びをわけてくれた。
写真を撮っていた私たちに、シャッターを押してと言ってきた白人のカップルも幸せそう。
プラットホームを歩く、誰もが、笑みを浮かべていた。
ここユニオン駅は奴隷市場のあったところ。そこに、明日、初めてのアフリカ系アメリカ人の44代大統領が生まれる。
各地からやってきた人々でごった返した駅構内は歓喜の渦がみなぎっていた。アセラ特急には少なかった黒人の数が多い。
みな、かって見たことのないほど自信に溢れ、自分の存在が誇らしげだった。
そして、これこそが自分たちが待ち望んでいた世界なのだ、と、喜ぶ白人たち。誰もが、目を合わせると、笑顔が返ってくる。

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アーチ型の出口の向こうに国会議事堂が見える。
特設の壇上に立つ警備の兵隊の姿もかき消されるほど、出口に向かう満員の人々の心は温かく、燃えていた。
1963年のマーティン・ルーサー・キングJrの演説「私には夢がある。いつの日か、かっての奴隷の子たちと、かっての奴隷の所有者たちの子たちが、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを」
100年はかかるだろうと言われていた夢が今、現実となる。
ああ、ここに来て良かった!様々な仕事を放り投げてきた私を許してくれた家族、仕事仲間に心から感謝した。


オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(3)
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オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(1)

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 1月17日、娘のセンター試験の日、お弁当を持たせて送り出したあと、私は家事をすませ、犬の散歩をし、そそくさと準備をして、成田空港にむかった。
私がマネージメントをするR・Hとともにオバマ大統領の就任式に参加するのが一番の理由。
2番目の理由は80歳になって一人暮らしをする彼の母親の今後をどうするかと言う、日本と同じ老親問題の解決のため。
彼とは18日、NYのホテルで会うことになっている。
日々の忙しさにかまけて、何の準備もできないままの12年ぶりのアメリカへの旅である。
 機内は満員。私の席は窓側の真ん中、超メタボの白人男性と、ちょいメタボの日本人男性に挟まれて、ベーグルサンドの中身状態。
読みかけのバラク・オバマの自伝「マイ・ドリーム」をひたすら読み続けた。
これはオバマがハーバードのロースクール時代、「ハーバード・ロー・レビュー」という雑誌の初のアフリカ系アメリカンの編集長になったときに、依頼されて書いたものを10年ぶりの2004年に再版したものである。
だから、当然、自分が大統領どころか、政治家になるなんて夢にも思わない時期である。これが素晴らしかった。
ご存知の方も多いだろうが、ケニア人を父に、アメリカ人を母としてハワイで誕生。当時アメリカでは22州で異民族間結婚は違法であり、羊と交わるのと同じと見なされていた。
父の国は一夫多妻制に近い。異母兄弟も何人もいる。
母の再婚相手はインドネシア人で、妹が一人いて、インドネシアに住んだこともある。
自分が何者なのかと悩む学生時代、マリファナに走ったこともあったし、ボールドウィンなどの黒人作家の作品を読みまくり、マルコムXの自伝を読んだという。
名門コロンビア大学を卒業した後、約束されたエリート人生が始まったが、それは自分にとって居心地の良いものではなかった。
自分は何をしたいのか、と、自分に問うた答えは、人のためになる仕事、だった。
自ら望んで、シカゴの貧しい地域の生活向上のためのオーガナイザーの仕事についたのだ。
これは、上から、何かをしてあげる方式の福祉でなく、彼らが何を欲しているかを聞き取り、それを形にしていくために、彼らと一緒に政治を動かし、作り上げていく、という、草の根運動だった。
その時点で、彼には、黒人も、白人も、褐色の人もない、アメリカというコミュニティ構想があった。
3年間、地域で地道な努力を重ねたあと、法律を学ぶ必要性を感じ、ハーバード大学のロースクールに入りなおす。
シカゴを離れるときに、「卒業したら戻ってくるから」と、言うと、同僚たちが笑って言った。
「何を言ってるのだ。お前には未来が広がっている。こんなところに戻ってきてどうする」3年後、オバマはシカゴに戻ってきた。
入った法律事務所でオバマの指導役となった先輩弁護士が妻となったミシェルである。ミシェルの祖父は奴隷だった。
かって、彼ほど、当事者として人種問題の根深さを味わった大統領はいなかったろうし、彼ほど、そこからの脱却を願い、悩み、考えた大統領はいなかったのでは。
その大統領就任式、そこに立ち会えることの喜びが、沸々と沸いてきた。
フライト13時間は長い。眠れないまま、映画を観た。ウディアレンの「アニーホール」。
30年前、初めてアメリカを訪れたときに極寒のNYで観た映画だ。
夫とまだ5歳だった長男と、R・Hに案内されてのNYだった。
映画は全然古びてなくて、感覚もファッションも新鮮。
見るもの、聴くもの、何もかも、ホントにドキドキのNYだったことを思い出す。

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(2)
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1年半ぶりにブログ再会

お久しぶりです!
映画と舞台の台本を書かねばならなくなって、ブログを書いている場合ではないだろうと思ったのが一つ。もう一つは個人的に吐露してはいけないことがあって、すっかりご無沙汰してしまいました。
なんとか、映画「星の国から孫ふたり」は4月1日に撮影インし、芝居も12月12、13日に沖縄で本番を迎えることに。
で、ブログを再開することにしました。
まずは、月刊誌「いきいき」4月号の巻頭エッセイの全文をいくつかに分けて載せます。

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(1)
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2007年10月07日

9/29県民大会、映画「ひめゆり」、「藤木勇人の沖縄妄想食堂」

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昨日、柴田昌平監督のドキュメンタリー「ひめゆり」を観ました。あの悲惨な沖縄戦で生き残った方たちの、重い証言の一言一言がリアリティをもって私に迫り、全身が総毛立つ思いだった。9月29日、私は教科書検定抗議県民大会で、宜野湾海浜公園の11万人以上の人たちの中にいた。壇上に立った高校生の「おじいやおばあの言うことがウソだと言うんですか」その言葉に涙し、そして、本当に怒りを覚えていた。「ひめゆり」のそれぞれの方々が、辛い気持ちを吐き出すように語る、これもウソ、というのですか。教科書検定って、いったい何?!検定調査官って誰?(世界11月号を参考に!)9月29日、15時、沖縄は真夏日だった。全島から、多くの人たちが集まってきた。バスや車の道路規制があったので、近くまで来て、そこから歩く、という、車社会の沖縄の人にとっては結構大変なことだったにもかかわらず、おじいからおばあ、お父さん、お母さん、子供たちの家族ぐるみが多かった。みんな、この教科書検定には心底怒っていた。「おじいやおばあがウソをついていた」そう言われたも同然だと。11万人と公表されたが、私はもっと多かったのではと思う。現地で会うはずだった友人は「すごい人で、公園の中に入れきれない」と、携帯電話で話した。その後の、「このことを重く受け止め、考慮したい」とは現文科相。「人がたくさん集まったから撤回するというのは」と前文科相。産経新聞には、宜野湾海浜公園の広さを書き、そこに11万の人が入れるわけはない、と。また、ある、大学教授は「11万集めるのに、金をばらまいたのだ」と。あまりの論点の違いに、わじわじ(体の中から湧いてくる怒り)するどころか、呆れてものも言えない。刺すような日差しの中で、少しでも多くの人が座れるように、体を寄せ合い、互いの体を心配しあって、黒糖
や飴を回しあった29日。誰一人、戦闘的な人などいなかった。ただただ、心の底から、「おじいおばあの言ったことは本当のこと」と認めてほしいと。映画「ひめゆり」の中には歴史の真実がある。ぜひ、多くの人たちに観て貰いたい。
 「藤木勇人の沖妄想食堂」(主婦と生活社刊)が発売されました。カメラマンの中川まりこ、編集の篠原麻子の熱に促され、何度自費で、沖縄に取材旅行に行ったことやら。主婦と生活社の担当黒坂潔には、妄想スタッフと命名されたほど。お陰で、なかなかの妄想本が出来たと、自負しています。1400円、と、ちょい高めですが、中身は濃いはず。是非、お買いあげください。bookmousou_blog.jpg
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2007年08月27日

なんと、3か月ぶり!

残暑お見舞い申し上げます。
シーサーブログの形式が変わって、何だか、ブログを書くのが面倒になってしまった!そんな単純なことで、休眠状態に。その間にいろんなことがあった。酒向芳の「夏の夜の夢」、藤木勇人の「妄想見聞録」、きゃんひとみの「うたの日カーニバル」の司会、岡本易代の「ピーターパン」、いきいきの沖縄の旅、沖縄北谷での第4回「栗山民也演劇教室」。日々、自分の力のなさに、ウロウロ、どきどき。そして、反省の毎日。こんなこと、ブログに書いてどうするの?あっ、来週、9月2日夜10時から、フジテレビ、プレミアA、「恋文屋」は藤井千夏がナレーション、藤木勇人が出演しています。藤木勇人が月1回沖縄NHKから送るラジオ「沖縄熱中倶楽部」も評判が良く、8月19日にはコザの民謡酒場「姫」で生中継も。我如古より子さん、普天間かおりさんがゲスト。RBCiラジオ
のきゃんひとみ「琉球夜遊び」(日曜6時15分より)の9月ゲストはイッセー尾形さん。人見知りするイッセーさんが、きゃんの突っ込みで、おもしろい話の数々を。ハングル講座、どんどん難しくなって、藤木勇人はどうなりますか?8月は沖縄に1週間行ってましたが、東京よりしのぎやすい。でも、あれほど好きな海を間近に見ることもなく、帰ってきました。私の生命力が弱まっている証拠でしょうか。
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2007年05月22日

DREAM・大嶺祐太・旅立ち

八重山商工の大嶺祐太が千葉ロッテにやって来た。同じ沖縄出身のきゃんひとみが、大嶺を応援したいと、映像を撮って、自分がキャスターをやっている千葉テレビのニュースCマスターでちょくちょく放送している。2月末、大嶺の卒業に合わせて、きゃんと二人でに石垣に行って、録音してきたものを、「DREAM・大嶺祐太・旅立ち」として、この5月25日28時(26日朝4時)にベイFMで流すことになった。昨日の夜、夜間飛行をしている気分になる海浜幕張の27階のスタジオで、最後の編集作業。構成を私が書き、きゃんがナレーション、ディレクターは40才になったばかりの楢戸くん、そして27才の西宮くんと25才の鴫原さんが編集。若いみんなとああでもないこうでもないといいながら出来上がっていく楽しさ。1時間の特番がぴったり出来上がったときはつい拍手してしまった。で、今朝、何年ぶりかの朝帰り。ベイFMが聞ける方は何とかしてぜひ聞いてください。きゃんが自分から言い出したきゃんプロジェクト。石垣の魅力、大嶺の魅力、そしてBEGINの歌が生きてます。酒向芳が出演する新国立劇場、ジョン・ケアード演出の「夏の夜の夢」も5月31日から始まります。ハングル講座で冷や汗をかいている藤木勇人の一人芝居は6月14日から17日まで下北沢駅前劇場で。
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2007年04月03日

再び、ヘレンケラーを知っていますか

 しつこいようですが、手前味噌なご報告です。「ヘレンケラーを知っていますか」が、同時期に公開された映画のぴあ満足度ランキングの1位になりました。ちなみに、2位は「僕たちは世界を変えることができない」、3位「ホリデイ」、10位に「アルゼンチンババア」ランキング圏外にオダギリジョーの「蟲師」!という意外な結果。というYAHOO!ニュースに一番びっくりしたのは私です。役者さんの演技は凄い、とは思いますが、低予算、地味なテーマがなぜ!でも、でも、嬉しいです。明日への光となります。へこむことが多い毎日ですから。
 1昨日、きゃんひとみが六本木スィートベイジルで杉山清孝のライブアンドファンの集いの司会を。きゃんって、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガーみたいだなって。ベイFMでも女性ファンが多いんです。本人の思いとは別に。
 このところ、藤井千夏と一緒にいることが多々あるのですが、気持ちの良い子(勿論大人の女性)だな、と今さらながら、思います。考えてみると、アニマの一番の古株になってしまった。いい女の多い(?)アニマをよろしく。
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2007年03月28日

ヘレンケラーを知っていますか 

前回のブログの、「ヘレンケラーを知っていますか」の公開日を4月24日と書きましたが、大間違い!3月24日、もう公開されています。
1度だけ、初号で観ましたが、自分で書いたものは照れくさくて、冷静に観れない。でも、文部科学省特選(少年・青年・成人向き)、日本PTA全国協議会特別推薦、児童福祉文化財特別推薦と、なったところをみると、平均点はいってるのかな、と。3月24日から3週間だから、4月13日まで銀座シネパトスで。東銀座と銀座の間にある古い建物の半地下。是非、ご覧下さい!
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2007年03月18日

もうすぐ春ですねえ

 人生いろいろ。冬眠していたーい!と思う時期もたびたび。どこかに蒸発して新しい人生を!、さもなければ、出家するか、修道院に!なんて、年甲斐もなく口走ったり。朝になると、また同じ時間、同じ日常が。でも、これが私に与えられた修行の場、(いや、そうしないと、飢え死にしてしまうから)と、台所に立ったり、仕事に出掛けたり。そうして今がある。ますますわからなくなった自分がいる。
 話しは変わりますが、この4月24日から、脚本を書いた、映画「ヘレンケラーを知っていますか」が、東京、銀座シネパトス(рO3ー3561−4660)で公開されます。監督、中山節夫、主演、小林綾子、アニマのきゃんひとみ、酒向芳、岡本易代、山内慶太郎、伊藤裕平も出ています。3週間はやってますので、ご覧下さい。
 4月から藤木勇人が出演するNHKハングル講座の収録が始まった。
おもしろいです。ハングル語って、沖縄方言(うちなー口)に近いかも。
毎週火曜午後11:30〜11:55 再放送日曜午前6:00〜6:25。こちらも、どうぞご覧下さい。
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2007年02月08日

梅に鶯

立春を迎えたら、温暖化の影響もあって、すっかり春のよう。日吉の街も梅の花が満開で、鶯が蜜を吸っていました。通り過ぎると、そこはかとない香りが追ってきて、うれしくなります。桜のように派手ではないけど、もう一度振り返りたくなる。テレビをつけても、電車の吊り広告をみても人を切り刻む様な事件の垂れ流しは、気持ちを荒ませます。さーて、いつものように、楽しんで!先日、ART集団『なまいき』のデビッドとお仕事で関わりました。柔らかく、しなやかなんです。あんな風に生きたいな。そうそう、イッセー尾形さんたちも。
 今晩、夜10時から、WOWOWで小栗康平監督作品『埋もれ木』をやります。ぜひ、ご覧下さい。はじめて、この映画を観たとき、とても良い気持ちになった覚えがあります。現実の世界に対して、こんな形のアプローチもあるのだと。
 この4月から1年間、藤木勇人がハングル語講座に出演します。明日はそのテキストの撮影があります。どんな形になるのか、楽しみです。
先日、日大芸術学部の授業の一環で、安部公房の『第4間氷期』を伊藤裕平が構成演出をした。おもしろかった。安部公房は新しい。アニマで安部作品を取り上げていければ、と思う。例えば、『棒になった男』を藤木勇人でやるとか。考えると楽しくなってくる。柔らかに、しなやかに。そして、私に一番欠如している、したたかに!をめざして!
 
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2007年01月28日

寒中お見舞い申し上げます

 昨年7月9日、義父、伊藤志智郎が90才で亡くなり、新年の御挨拶を失礼致しました。義父は陸軍士官学校出の職業軍人でした。
戦後の公職追放のため、英語と数学の教師の道も絶たれ、軍隊の部下の造り酒屋で番頭として定年まで勤め上げました。高射砲の隊長だった義父が負傷し、部隊を離れていた間に、部隊は壊滅、多くの兵隊さん達が亡くなってしまったそうです。義父の半生はその兵隊さんたちの供養のため、といっても過言ではないでしょう。仕事の合間に全国の部下の遺族をお尋ねし、仏前に手を合わせ、部隊での在りし日をお伝えしていました。戦後民主主義教育を受けた私とは国家観、戦争観には反することが多く、討論になることもしばしばでした。
 また、私の事務所に所属していた多々良純さんも9月30日に89才で亡くなりました。多々良さんも招集されている間に、演劇仲間であった『さくら隊』を広島の原爆で亡くしています。
 多くの教えを頂いた二人に感謝し、自分が未来に何を伝えられるかを考えます。
 お正月に映画『ホテル・ルワンダ』をビデオで、『ダーウィンの悪夢』を渋谷シネマライズで観ました。この冬の暖かさ、世界の異常気象、戦争なんてやってる場合ではないんじゃないかしら。でも、私に何ができるでしょう。日々の生活にあくせくしながらも、考えていきたいと思います。
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2006年12月15日

いきいきツアー

今年で6回目、年に1回のいきいきツアー(雑誌『いきいき』の読者から募る下島三重子と行く沖縄の旅)、今年は50代から80才までの女性23人とご一緒した。今回は本島、宮古、伊良部、下地、池間、来間の旅。メインは伊良部と下地の間にある佐和田の浜に泊まっての癒しと再生。この半年、自分の中にこんなにも怒りの感情があるということを何度も体感、それが、未だに湧き上がってくる不快さ。このままいったら、自分自身がつまらない、何とか立ち上がらねば、の気持ちで選んだ行程だった。このツアー、私の我が儘に読者がつき合ってくれるという、なんとも変な旅。そのコンセプトで6回も続くなんて!台風で、何カ所も壊れた遊歩道では、珊瑚礁の切り立った岩の上を手を取り合って登ったり降りたり。そこに小さな花を見つけたり、80才の脚の強さに驚いたり。そこに入ると生まれ変われるという、断崖絶壁(?)に囲まれた海に飛び込んだり。23人全員と添乗員までも、「今度はいつやるんですか?」一番楽しませて貰ったのは私なのに。ありがとう!再生はなされたようです。だって、ブログを書く気になったのだから。さーて、仕事、頑張ろう!
藤木さんが、アン・リー監督の「Lust Caution」に出演。1シーンですが上海で撮影。1月13、20日21時から「ちゅらさん4」の放送。きゃんさんは10月から、千葉テレビ、水、木、金の夜9時から10時までのニュースCマスターのメインキャスターに。千夏ちゃんはComingSoonのライブ活動をしながら、ナレーションの仕事。岡本易代、島川直は芝居が終わったところ。酒向芳さんは1月3日から15日までのレクエム社の芝居の稽古。それぞれ頑張ってます。私も頑張らなくちゃ!
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2006年10月12日

多々良さんありがとう・ZAMPA公演の感謝 ありがとう!

 9月30日、所属する多々良純さんがお亡くなりになりました。1週間前の23日、お家に伺ったときには、お布団の中ではありましたが、お元気で、「中山監督が映画の準備をしていて、多々良さんに出て頂きたいっておっしゃってました」の私の言葉に、「そう、まあ、よろしく」。どんなに親しい人のお葬式にも出ることはなかった多々良さんは、自分も家族だけに看取られて、風の様に去っていきました。前向きで、後を振り返らない多々良さんは、お会いしても、多くは語らなかった。でも、その時々、人生の珠玉のような言葉をたくさん頂いた。心から感謝しています。
 10月6日、昨年から関わってきたZAMPA残波大獅子太鼓の東京オーチャードホール公演が終わりました。富山公演で大怪我をした史乃ちゃんが、気力で復帰、リズミカルなバチ捌きに優美さが加わって、ハッとしました。千里ちゃんの笛に涙。7人の団結力の素晴らしさ。ありがとう!年ばかり取っても、素人の私を、心配して、手伝ってくれた丹羽さん、まりちゃん、篠、きゃんさん、水野さん、国広さん、神さん、毛利さん、ちわちゃん、久田さん、石田さんたち、多くの友達、そして、サンライズの高橋さん、近藤さん、大腸ガンの手術後の体を押して舞台監督復帰してくれた吉利さん、池永さん、スタッフの皆さん、もちろん、栗山さん、勝柴さん。何より、台風の激しい風雨の中、劇場に足を運んで下さったお客様に感謝です。終わりに、私の無謀な行動を、黙って支えてくれた夫、家族にありがとう。
今回観られなかった方たち、NHK芸術劇場で収録してくれたので、しばらくすれば、観られます。
 10月22日15時、兵庫県立芸術文化センター大ホールにて、ZAMPA沖縄から、公演があります。ぜひ!
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2006年10月03日

もうあと、3日

今日も残波大獅子太鼓の公演準備。
物は良いはずなのに、半分も入っていない(T_T)
もう倒れそう・・半分倒れてます、下島は。
と言いながらも、何とか自分の気持ちをかき立てて
多くの人に知ってもらおうと、頑張ってます。
観て聴いた人たちはみんなすごいって言うんだけどねー
こればかりは観て貰わないと・・・
だから皆さん、絶対に見に来てね。お願い!
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2006年09月18日

ええっ!もう20日切っちゃった!

 えらいことです!大変です!あれもこれもやりきれてないのに、時間ばかり過ぎていきます。照準は10月6日オーチャードホール、「ZAMPA沖縄から」公演。チラシ、ポスター一式を詰めたキャリーカーを今日も引いて歩いていたら、「ミーコ、横浜ローザじゃなくて川崎ローザみたい」って、学生のころからの友人に言われた。うーん、そういえば、心境は同じようなものかも。ほんとにほんとに切なくて、侘びしくて、どんなに心細いか・・・。ふう、なにやってんだか!でも、私の場合は、売っているのは、我が身でなく、ZAMPA。作品は自信あるんだから!
 この大変な時期、癒しとなった、我が家の柴犬ヒメの3匹の子犬たち。その1匹が、今朝、沖縄に飛び立つ。藤木勇人家の1員になるために。我が家の一番人気だった黒柴の、母親と兄弟たちとの別れ。蜜月からの出発。何かを察知しているのか、母親にまとわりついておっぱいにぶら下がったり、背中によじのぼったり。見ているうちに、なんだか、涙ぐんでしまう。あっ、明日も早い。眠らなければ。10月6日まで、とにかく健康でいなければ。おやすみなさい!
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2006年08月30日

ZAMPAオーチャード公演まで、あと37日

 8月ももう終わり、ZAMPA(残波大獅子太鼓)のオーチャードホール公演までいよいよあと37日。私はどこへ行くにも、チラシとポスターをどっさり持参。昨日も栗山さんの取材のため、新国立劇場に行ったが、帰りがけに、栗山さんから、「これから沖縄に行くの?」と言われてしまった。そんないでたちだ。これでマンションか何かにチラシをポストインしたら、逮捕されてしまうかも。タイトルは「戦争と平和」だし。なんて思いながら、ずっしりと重たいキャリングカーをひっぱり、階段を上がったり降りたり、ジムに行ってあせを流すのと同じだと思えば、辛くもない。昨日は本当に嬉しいことがあった。10年近く会っていなかった友人から、「チケット30枚ほしい」と電話。青山劇場にサンライズの近藤さんたちとチラシの折り込みをしたあと、退院して、ちょっと元気になった舞台監督の白澤さんと、打合せ。夕暮れが迫るころ、新宿の路上で友人と再会。かれこれ28年たつ。お互い文学青年、少女(?)だった。今彼は税理士事務所をやっている。どうせ、新宿に来たのだから、と、彼に荷物を持って貰って、沖縄料理店や、知人のお店にチラシ、ポスターを置いて貰う。空っぽになったキャリングカーを横に、彼にご馳走して貰う。なんとありがたいこと!オーチャードホール2回公演なんて、ホントに無謀な事をしてしまった!と後悔することも多々あるが、こうやって、しばらくぶりの友人と、昔と同じように話が出来ることを考えると、良かった、と思える。ホントに、自分一人では何も出来ない。今回の公演だけでもどれだけ多くの人たちに支えられているか・・・。下島は何度も涙しています。さあ、今日も頑張ろうっと!
posted by 下島三重子 at 08:07| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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