2009年04月03日

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(4)

 この道はホワイトハウスの西側、ワシントン記念塔の建つモールに続く。
「トイレや食事はどうするんだろう」心配になって、近くのピザ屋に飛び込み、ピザを1ピースとミネラルウォーターを1本買い、ポケットにねじ入れる。
トイレは、というと、使用禁止の札が。この人混みでは、さもありなん、と、納得して、人波に戻る。
レンウィックギャラリーの前にプラカードを掲げた人たちが嬉しそうに笑っている。
パレードのある、ペンシルバニア通りの入り口には検閲を受けるための人の行列が。
パレードまで、まだ、5時間くらいあるのに!
パレードは見られても、就任演説は見られないではないか。
モールの入り口にズラッーと万里の長城のように見えたのはトイレだった。200万人のためには当然必要だろう。

P1030380.JPG
 小高いワシントン記念塔の丘はすでに豆粒のような人で埋め尽くされている。道路にはまだまだ人の波が押し寄せている。
国会議事堂とホワイトハウスが一望できる丘の上に行くことにする。私たちも豆粒のひとつとなる。
記念塔の周りには星条旗が翻っている。ハトが舞い、ヘリコプターが旋回し、もっと上空には飛行機が行き交う。
沖縄で、複雑な思いで見ていた星条旗が、今日は誇らしく思える。埋め尽くす人々はいつからここにいるのだろう。
みんな、エスキモーのように着ぶくれ、毛布をまとった黒人、寝袋を敷いて抱き合うように腰を下ろした家族。
今もマイナス3度くらい。ユニオン駅で見たときよりみんなの表情が硬いのは、冷凍されちゃってるからかも。
議事堂まで、2キロくらいあるだろうか、ぎっしり人で埋まっている。
大型テレビジョンの画面には議事堂に到着した人たちが映し出されている。
一斉にブーイングが始まったので、見ると、ブッシュ大統領だった。
歓声が上がったので、誰かと思ったら、ゴアだった。民衆は正直だ。
オバマの子供たち、そして、ミシェルが入ると、温かい歓声。そして、大きな歓声。
オバマだ。でもその顔に笑顔がない、硬く緊張した顔だ。
11時30分、「レディースアンドジェントルマン」低音の響きが、会場に響き渡り、就任式の始まりを知らせる。
宣誓に使用した聖書はリンカーン大統領が使ったもの。
ところが、宣誓分を先導した連邦最高裁判官が言葉の順番を間違え、ちょっと、困った顔になったオバマはミシェルと見合わせて、苦笑い。
そしてもう一度、言い直す。緊張が解かれたように見えた。

 12時少し過ぎ、オバマ大統領の就任演説が始まった。200万人の耳がオバマの一言一言を聞き逃すまい、と、待ちかまえていた。
まずはブッシュ前大統領へのお礼の言葉。そして、静かに語り始めた。
それは、今、アメリカがどんな危機に直面しているかを国民と認識しあい、これから努力して行かなければならない風な深刻なものだった。
観衆の失望感が感じられた。観衆が期待していたのは、「Yes we can!」など、自分たちを昂揚させてくれる言葉だったのだろう。
でも、実際は、それどころではないのだから、オバマの演説は真摯で正直だった。
「60年前、レストランに入ることを拒否された男の息子がここに立っている」など、何度か、「オバマ!オバマ!」と言うシュプレヒコールは上がったものの、選挙戦のときのような、熱狂的、雪崩れるようなオバマコールはなかった。

18分の演説が終わると、まだ、セレモニーは続いているというのに、人々は帰りを急いだ。
群衆に導かれるように、私たちも丘を下っていた。大型画面ではエリザベス・アレクサンダーが詩を朗読している。
ふっと、後ろを振り返った私は、驚いて声を上げた。群衆がまばらになった丘のあちこちに残されたゴミ。
P1030415.JPG
コーヒーや食べ物のパッケージ、新聞、ブランケットなど、など。
「えっ!どうして!持って帰らないの!あの、オバマの演説のあとに、どうしてこれなの!」私が怒って叫ぶ、と、H・Rが、「どうして?」と聞く。
「当たり前でしょ!自分が出したゴミを片づけるのは!」
「片づけるために動員された労働者の仕事を奪うわけ?」
「そんなこと!その費用はどこから出るの? ワシントン?国?」
「三重子の意見は経済を停滞させることになる」
「そんなっ!そのお金をもっと生産的なことに使ってよ」
私が関わっている、沖縄のBEGINが主催する『うたの日カーニバル』は4、5万の人が集まるが、会場に残されたゴミはほとんどない。
吹き上げる風でゴミが舞い上がる。オバマ大統領のこれからの苦難の道が察せられる気がした。
モールのゴミは300人の清掃労働者と100人のボランティアによって片づけられた、と、次の日の新聞にあった。
だが、私のような意見は皆無だった。

 R・Hの母親の担当医に会った。
「短時間しか記憶がもたなくなっている。毎日、ヘルパーつけるべき。心臓が悪いのに薬も飲もうとしない。最悪、倒れて1か月以上、そのままという悲惨な状態も覚悟すべきだ」
自分の父親の痴呆症で苦労した、と言う女医の話は説得力があった。
しかし、3日間、一緒にいて、それほど悪い状態だとは思えなかった。
それよりも何より、彼女自身が断固として、ヘルパーを家に入れることを拒否した。
「一人で十分やっていける」と言い切る彼女をどうやって説得すればよいのか。
R・Hも一人でいることが多い。それを最大の幸せと思っている。その母である。
「人は誰でも、死はやって来る。それが看取られる死か、そうでないかは誰にもわからない。あなたはどう?自分の世界を邪魔されたら、1日もいられないでしょう」と、R・Hに言ってしまった私。
だが、別れの日、ポーチの下で手を振ってくれたヴァージニアが遠く離れるに従って、か弱く風に揺れるのを見て、私の気持ちも揺れた。 
P1030409.JPG


posted by 下島三重子 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。