2009年04月03日

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(2)

 ニューアーク・リバティ空港から、リムジンバスでNYへ。
高速道路にのって、ハドソン川を渡るリンカーントンネルに入る前の一瞬、窓からNYの街が、まるでお盆の上にのったキャンドルの山の様に見える。
30年前に見たときの鮮烈さは今も瞼に焼き付いている。この中にワールド・トレード・センターのふたつの建物もあったのだ。
娘から電話が入る。「センター試験、全然ダメだった!」と失意の声。
「現実を受け止めて1か月後の本番にそなえるしかないよ。頑張って」母は祈るしかない。
60歳になった母は今も悩み、12年ぶりに訪れたNYで、自分の力の無さに打ちひしがれながらも、前に向かって闘っているよ。
あなたはまだ18歳、どれだけの力があるか。自信をもって!

 ブライアント・パークでバスを降りる。マイナス5度の空気が肌を刺すが、気を引き締めてくれるようで心地良い。
すぐにタクシーに乗る気がせず、大きなトランクを引きずりながら、北に向かって歩いてみる。
ブロードウェイあたりはさすがに賑やかで、あちこちで芝居やミュージカルが始まっている。
タクシーの運転手はターバンを巻いていた。これがNY!
10%から20%のチップを考えなければならない。面倒だが、老化防止になるかしら。
私はブロードウェイあたりのもっと、安いホテルにしたかったのだが、R・Hが愛煙家のため、喫煙室の取りやすいこのホテルとなった。
2日前に飛行機が緊急着水したハドソン川を西にセントラルパークの南西に位置するチェーンホテルで、部屋は広く、古びて落ち着いているが、ロビーも食堂も何の趣もない。
時差14時間。一睡もしていないのでさすが疲れている。シャワーを浴びてベッドに横になると、そのままぐっすり寝入ってしまった。
起きると12時過ぎ。まだ3時間しか眠っていない。
娘からの着信がある。日本は18日の昼。テレビをつけるとCNNでオバマの特別番組をやっている。
テレビに目をやりながら、娘に電話する。
「お母さん、私、勉強に向いていない!やってもできない!どうしていいかわからない!」
「誰もあなたを助けてあげられない。今自分の目の前にある問題を自分で解いていくしか方法はないのよ!」
埒が明かず、電話を切る私。またかけてくる娘。遠くでパトカーのサイレンが鳴り響く。
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テレビ画面はオバマが今日、私たちも乗ることになっているアムトラックで、フィアデルフィアから、ワシントンDCに入ったその映像を流している。
「さあ、問題集の1つでもいいから、解いてみなさい。そこからしか始まらないよ」
私の娘への強気の言葉は、確かにオバマに背中を押されている。
「Hだって、漢字を一つ一つ覚えて、今があるのよ。できないと思ったこともあったよ」
「H小父さんもなの?そうか」
やっと落ち着いて電話を切る娘。

 もう、NYはすっかり朝。窓の外は雪が舞っている。降っているのでなく、下から吹き上がるように舞っている。  
19日、ペンシルバニア駅から、R・Hと午前11時発ワシントンDC行きのアムトラック、アセラ特急に乗る。
全席グリーン車(日本円で25000円くらい)ということもあって、乗客は仕立てのいいコートを着て、高そうなカバンを持つエリート風がほとんど。
座席に着くなり、パソコンを開いたり、本を読んだり、新聞を読む。見るからに就任式の取材でワシントンに向かうというジャーナリスト風の人もあちこちに。
オバマが愛用しているスマートホーンのブラックベリーを手にしている人も多い。
窓の外は雪が舞うニュージャージー。工場街や、貧しい黒人の住む住宅街。そして雪化粧した雑木林。
30年前、家族3人で1か月近く滞在していた、R・Hが助教授をしていたプリンストン大学はこの雑木林の向こうにある。
NYを出て、1時間を過ぎたころ、フィラデルフィア駅に到着。『フィラデルフィア』という映画を思い出した。
若き有能な白人が会社の取締役となる。ところが、エイズを発症したことで、解雇される。
異議を申し立てた彼は親しい友人の黒人弁護士に弁護を依頼する。
エイズでゲイ、当時、もっとも差別の対象となる問題を抱えた友人の依頼を、いったんは断った黒人弁護士。
それを弁護することで、やっと手にいれた今の地位、家庭を揺らがせたくなかった。
しかし、友人が差別に対して必死で闘おうとする姿を見て、弁護を決心する。
黒人という隠しようのない存在に対する確固たる差別。白人であっても、ゲイであることの差別。エイズに対する差別。
最終的に、勝訴となる、この映画の舞台をフィラデルフィアにした意味は大きかったのだ、と、今、気づく。
独立宣言が採択され、合衆国生誕の地とされるこの地から、17日、オバマはミシェル夫人とともに列車でワシントンD・Cに入った。
途中、ウィルミントン駅でバイデン副大統領夫妻も合流して、集まった人たちに手を振る姿をテレビで見た。
あのときの列車は、私たちが乗っているこれだったのかしら。いずれにしろその道をたどることに感慨を覚える。

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 13時50分、列車はユニオンステーション到着。
向かいのプラットホームには1960年、マルコムXが存命していた頃のシカゴからの特別列車が止まっていて、車両の中で、就任式前日祭のパーティが行われていた。
目が合ったガラス窓の向こうの白人女性が、この日を待ち続けていた、という風に、手にしたシャンパングラスを高々と掲げ、喜びをわけてくれた。
写真を撮っていた私たちに、シャッターを押してと言ってきた白人のカップルも幸せそう。
プラットホームを歩く、誰もが、笑みを浮かべていた。
ここユニオン駅は奴隷市場のあったところ。そこに、明日、初めてのアフリカ系アメリカ人の44代大統領が生まれる。
各地からやってきた人々でごった返した駅構内は歓喜の渦がみなぎっていた。アセラ特急には少なかった黒人の数が多い。
みな、かって見たことのないほど自信に溢れ、自分の存在が誇らしげだった。
そして、これこそが自分たちが待ち望んでいた世界なのだ、と、喜ぶ白人たち。誰もが、目を合わせると、笑顔が返ってくる。

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アーチ型の出口の向こうに国会議事堂が見える。
特設の壇上に立つ警備の兵隊の姿もかき消されるほど、出口に向かう満員の人々の心は温かく、燃えていた。
1963年のマーティン・ルーサー・キングJrの演説「私には夢がある。いつの日か、かっての奴隷の子たちと、かっての奴隷の所有者たちの子たちが、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを」
100年はかかるだろうと言われていた夢が今、現実となる。
ああ、ここに来て良かった!様々な仕事を放り投げてきた私を許してくれた家族、仕事仲間に心から感謝した。


オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(3)


posted by 下島三重子 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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