2009年04月03日

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(1)

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 1月17日、娘のセンター試験の日、お弁当を持たせて送り出したあと、私は家事をすませ、犬の散歩をし、そそくさと準備をして、成田空港にむかった。
私がマネージメントをするR・Hとともにオバマ大統領の就任式に参加するのが一番の理由。
2番目の理由は80歳になって一人暮らしをする彼の母親の今後をどうするかと言う、日本と同じ老親問題の解決のため。
彼とは18日、NYのホテルで会うことになっている。
日々の忙しさにかまけて、何の準備もできないままの12年ぶりのアメリカへの旅である。
 機内は満員。私の席は窓側の真ん中、超メタボの白人男性と、ちょいメタボの日本人男性に挟まれて、ベーグルサンドの中身状態。
読みかけのバラク・オバマの自伝「マイ・ドリーム」をひたすら読み続けた。
これはオバマがハーバードのロースクール時代、「ハーバード・ロー・レビュー」という雑誌の初のアフリカ系アメリカンの編集長になったときに、依頼されて書いたものを10年ぶりの2004年に再版したものである。
だから、当然、自分が大統領どころか、政治家になるなんて夢にも思わない時期である。これが素晴らしかった。
ご存知の方も多いだろうが、ケニア人を父に、アメリカ人を母としてハワイで誕生。当時アメリカでは22州で異民族間結婚は違法であり、羊と交わるのと同じと見なされていた。
父の国は一夫多妻制に近い。異母兄弟も何人もいる。
母の再婚相手はインドネシア人で、妹が一人いて、インドネシアに住んだこともある。
自分が何者なのかと悩む学生時代、マリファナに走ったこともあったし、ボールドウィンなどの黒人作家の作品を読みまくり、マルコムXの自伝を読んだという。
名門コロンビア大学を卒業した後、約束されたエリート人生が始まったが、それは自分にとって居心地の良いものではなかった。
自分は何をしたいのか、と、自分に問うた答えは、人のためになる仕事、だった。
自ら望んで、シカゴの貧しい地域の生活向上のためのオーガナイザーの仕事についたのだ。
これは、上から、何かをしてあげる方式の福祉でなく、彼らが何を欲しているかを聞き取り、それを形にしていくために、彼らと一緒に政治を動かし、作り上げていく、という、草の根運動だった。
その時点で、彼には、黒人も、白人も、褐色の人もない、アメリカというコミュニティ構想があった。
3年間、地域で地道な努力を重ねたあと、法律を学ぶ必要性を感じ、ハーバード大学のロースクールに入りなおす。
シカゴを離れるときに、「卒業したら戻ってくるから」と、言うと、同僚たちが笑って言った。
「何を言ってるのだ。お前には未来が広がっている。こんなところに戻ってきてどうする」3年後、オバマはシカゴに戻ってきた。
入った法律事務所でオバマの指導役となった先輩弁護士が妻となったミシェルである。ミシェルの祖父は奴隷だった。
かって、彼ほど、当事者として人種問題の根深さを味わった大統領はいなかったろうし、彼ほど、そこからの脱却を願い、悩み、考えた大統領はいなかったのでは。
その大統領就任式、そこに立ち会えることの喜びが、沸々と沸いてきた。
フライト13時間は長い。眠れないまま、映画を観た。ウディアレンの「アニーホール」。
30年前、初めてアメリカを訪れたときに極寒のNYで観た映画だ。
夫とまだ5歳だった長男と、R・Hに案内されてのNYだった。
映画は全然古びてなくて、感覚もファッションも新鮮。
見るもの、聴くもの、何もかも、ホントにドキドキのNYだったことを思い出す。

オバマ大統領就任式を遠くに眺めて(2)


posted by 下島三重子 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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